豪雨?

関東が梅雨明けしたと聞いた。桜前線みたいに南から順々に明けるものだと思っていたのによくわからないな、と言うと、後輩にも友だちにも頷かれた。西日本にしか住んだことのないわたしたち。もうしばらく雨は続くらしい。

雨が降っている日に家から出られなかったり、着る服が決まっていないだけで授業に行けなかったりしてしまう。宿題をきちんとやって出せたことなんて思えば小学生の頃からほとんどなくて、目の前の人の力になろうとすることと目の前の食材がだめになるまえに料理することくらいしか頑張れないや。

こういう日々を送っているひとのことをアルファベット4文字くらいで診断することもあるのはわかっているけれど、そういう話がしたいわけじゃない。どこに属すかとか、何に値するかとかを知ったり表明できないことが不安なんじゃなくて、わたしはどこに行ってもやっていける、だいじょうぶ、とじぶんで思えないことが不安なのだ。それはたぶん、わたしだけじゃなくて。

 

宇多田ヒカルの「初恋」、聴いてもぜんぜん歌えないから楽譜まで買ったんだけれど、同じアルバムの「Play A Love Song 」のほうが好きになってしまった。

「友達の心配や生い立ちのトラウマは

まだ続く僕たちの歴史のほんの注釈」

「僕の親がいつからああなのか知らないけど (大丈夫、大丈夫) 君と僕はこれからも成長するよ (大丈夫、大丈夫)」

「落ち着いてみようよ一旦 どうだってよくはないけど考え過ぎているかも 悲しい話はもうたくさん飯食って笑って寝よう」 

そうだよね、と思う。題名は前述のとおりだけど歌詞にでてくるのは 「Can we play a love song?」というフレーズで、言葉で答えなくてもいい問いに嬉しくなる。だって既に愛があるなら、あとは心がけて、やってみるに尽きると思うから。それが応えることになればいいなと思うから。(実際、この曲が既に「Play a love song」だ、という意味で題名がこうなのかしら。) 主語がIじゃなくてweなのも好きです、健康な優しさという感じがして。

 

どこに行ってもだいじょうぶ、とは今思えないけど、どこに行きたいかがはやくじぶんにじぶんでわかるとよいなと思う。なにかはじまるといいのにと思いつつまだなにもはじめられなくて、椎名林檎の「群青日和」を何度も聴いてしまう。

 

 

今週のお題「2018年上半期」

男の子くらい短く髪を切ってもらってすっきりしました。似合わないかもと思ってることもやってみたかったらやってみていいし、結果オーライってことも案外あるなと最近とくに感じます。こういうのは、愉しいですね。