減らないプリン

梅雨に入る前、友だちがつくってくれたバケツプリンを大人数でよるにひっくり返した。綺麗に皿のうえに着地したときは歓声が上がった。一斉に拍手まで起きた。きっと、こんなにうまくいくとは思ってなかったんだ、わたし以外の人たちも。新歓のためのプリンだったのだけれど、つついてもつついても減らなくて、上級生もたくさん食べた。生地がきちんとうっすらあまくて、カラメルも準備してあって、凄くおいしかった。

新歓の買い出しや当日の切り盛りはみんなでやったけれど、前々から買うものの量を計算したり、プリンをつくっておいたりしてくれたのはてっちゃんだ。うまくいくかわからない誰かの思い付きを、きちんと形になるように冷蔵庫で準備してくれたのだ。てっちゃんのそういうところは尊敬してもしたりない。若い女の子のテンション、みたいなものがなんとなく苦手でちょっと素っ気ない振りをするところ(それがむしろかわいかったりするのだ)も、それを冗談でからかうと一緒ににこにこしてくれるところも、ほんとうはすこしだけ引っ込み思案なのに周りのためにいつも勇敢なところも、たまらなく素敵だ。そしてもちろん、てっちゃんのことはみんな好きなのだ。(ほんとはわたしにみんなの本心なんてわかるわけないし、彼女からしたらそんな簡単な話ではないのだろうけれど、絵本の地の文のようにそう言い切ってしまいたくなる人望が、てっちゃんにはある。)

 

そういえば、英語では死ぬまでにしたいことリストのことをバケツリストというらしい。死ぬことを「バケツを蹴る」と表現することが元になっているそうなのだけれど、それじゃすべての死が自殺みたいだ…と引っ掛かっていたところでてっちゃんのバケツプリンを思い出したのだった。まぁでも、これがぜんぶ済んだらもうバケツを蹴ってもいいくらい満足よ(まあそんなことしないけどね)程度の比喩なのかもしれないな。

リストのすべてにチェックが付いてバケツを蹴るとき、あの美味しいバケツプリンが中から登場して完璧に着地すると素敵なのでは、と思ったけれど、死んでしまってはそのプリンを食べられないことに気づいた。全然素敵じゃない。バケツリストは成し遂げたことが増える一方でリストの項目そのものも増えていく、減らないプリンなのかもしれない。