16時21分

1997年秋生まれ 暮らすぞ

10

お盆もごみ収集車って来るんだろうか、と調べてみたがなにも情報が出てこず、そうこうしているうちにあの音楽が聞こえてきた。おやすみですと書いてないことは、おやすみでないことを示していたのか…。せっかく目が覚めているのだから駆け下りようかとおもったけれど、日差しが凄いのでちょっと出る気にならない。諦めてそのまま二度寝をした。この街のごみ収集車の音楽はどこかオルゴールのようで眠りを妨げない。

 

 

大切だったがもう会うことはないかもしれない、みたいな人たちを含め、何人かなつかしい人々が夢に出てきたせいか、なんとなく機嫌がいい。夢じゃなくてほんものに会いたいよ、とさびしくならなかったことに自身の合理性を感じる。大切だったからといって、ふたたび会って歓び合えるとは限らないのをわかっている。

午後をまわってすぐの空はここ数日でいちばん晴れ渡っていて、お布団洗って干そうかな〜とまで思ったけれど、いつ倒れ込みたくなるかわからないので、いい案のようでいてきけんだと辞めておいた。ごはんも麺も受け付けなくておかずとヨーグルトだけ食べたが、食べ終えた端から眠気に襲われ案の定だった。横になると、満身創痍でようやくたどり着いた横になれる場所…みたいな気持ちになってしまう、ついさっきまでここで眠っていたのに。やわらかな場所に寝ころぶ安心感よりも、満身創痍への実感がつよい。そのまま眠った。

 

 

はやければ今晩郵便が届くよ、と昨日友人に聞いていたので、起きていようとひとまず18時ごろ夕食にした。昨日つくったコチュジャンの炒め物に豆腐を足して丼にした。電子レンジの音がつらくて装着したイヤーマフを、食べ終えてからもなんとなく外せずそのまま横になる。ここしばらく自傷やそれ以上を思い立たずに済んでいるのは単に日記を付けている効果でなく、うつが悪化してその元気もなくなっているのが現状だよな〜とあらためて感じる。回復に向かっている時の自殺者の多さはよく耳にする気がするし、わたしももうすこし気力と体力があったような時期に希死念慮や自殺企図がつらいことが多かったなとおもう。鈍っているいまのうちにいなくなるのがいちばん楽かもしれないな、と思いついてすぐ打ち消す。まだ見て驚きたいものがたくさんあるんだった、たとえば今晩届く予定の、友だち曰く「渾身の」ゆうパックの中身とか。

 

ぐったりしていたのがすこし楽になってきたなと思っていると、かすかに物音とはちがう音が聴こえ始めた。打ち上げ花火だ。室内からは山のほうしか見えないので、玄関を出て海のほうを見た。音はまだかすかにしているけれど、流石に見えない。毎年海辺で開催される大規模な花火大会も中止になったというし、場所はどこかの小学校とかだろうか。花火は見えなかったけれど、外に出て空をゆっくり見たこと、なんだかよかった。21時をまわっても郵便は来ず、念のためポストを確認に下へ降りた。不在票がなくてほっとする、また明日かな〜。なんとなく気持ちが澄んでいて気温もほどよく、けれどあまり遠出すると疲れてしまいそうで、家の周りを散歩とはいえないような距離あるいた。身体や日差しがつらくない時は、少しくらいこうして歩くのがいいかもしれない。この街へよく来る20歳になったばかりの友人がストーリーに打ち上げ花火を載せていて、場所は海辺で合っていたらしいと知った。しらべると今日は花火大会があるはずだった日のようで、こっそりすこしだけ決行したのだろうか。毎年これに賭けているかもしれない花火師さんたちに思い馳せた。

 

 

数日ぶりにすこしだけ気持ちが平気だったので、何人かに連絡を返したり楽しくLINEしたりした。シャワーの音やこれまで何度も倒れそうになったことを思うとやっぱりお風呂はこわくて、近所の友人に頼んで明日のよる銭湯へ行く約束をした。家にもあそびに行きたいけれどあなたの元気があったらにするね、と配慮してくれてうれしい。彼女は7つ歳上で、福祉の仕事をしている。明日も仕事だというので、いっしょにおいしい夕ご飯をたべようねと返した。

明日は金曜日。午前中にふたつ郵便が来る。午後は余力があればかんたんに掃除をしてふたりぶんの夕飯をこさえる。夜は友だちと銭湯へ行く。今日はもう眠る。写真はベッドのうしろに追いやられてかわいい格好になっていた、わたしの16年来の友だちです。身体はふとんにうもれているよ。

f:id:charu-mer:20200814000636j:image